朝日新聞 1986年(昭和61年)8月29日 朝刊
 「ニッポン自民300時代」特集記事(最終号)

首相は引き際を考え謙虚に臨め
「時」誤れば大混乱も

四元義隆さん(七八)三幸建設工業社長


「三百を超える議席を得た機会に、自民党は何を最重要の党是とするべきか、というところまで帰らなければならん。もし憲法を改正したら日本がすぐよくなる、国民生活の豊かさの基礎が固まるというのならそれもいいが、そんな簡単なもんじゃない。下手をすると悪くなるくらいだ。

時代は変化している。

憲法には運用による面が確実にある。運用するのは人間だ。人間が主体性を持つことこそ民主主義だ。総理・総裁は主体他の権化でなくてはならん」

「政治はそれを担当する者の主体と責任を抜きには考えられない。一番危険なのは、だれが何を推進しているのか訳のわからん状態で、流されていくことだ。平穏なときは指導者があえて主体性を振りかざす必要もないが、いまは国境の垣根を越えた経済の危機、核軍拡が深刻で、まかり間違うと世界中が大変なことになる。

何だか遠いことのように思えても、実は身近に迫っている。日本国の総理・総裁はグローバルにものを考えて、指導力を発揮せねは、役割を全うできない時代なんだ」


 中曽根首相のご意見番。昭和七年、右翼国粋主義者が政財界の要人を暗殺した血盟団事件に連座。服役中に「組繊には核心があり、会社には社長、国には首相がいる。とんな組織でも、その一人の決断と指導力の出来、不出来で栄えもし、滅びもする」と考え、出獄後、近衛文麿、鈴木貫太郎両首相の秘書をつとめた。戦後も吉田、池田、佐藤各氏ら歴代首相の知遇を得た。


「何をさておいても早速にやらなけれはならないことが山ほどある。中曽根政権のなかで民意の洗礼をうけた国鉄改革、税制改革、経済構造調整などの大公約だ。政治生命をかけてこれらをやり遂げ、あるいは軌道に乗せる仕事ができるのは、中曽根政権をおいてない。それがいまの政界の正直な実情だよ」

「同日選圧勝は、やれ遺族会のお陰じゃ、農協の頑張りじゃ、という連中がいるが、そりゃ−なんほかは働いただろう。だが、そんなものの機嫌をとって迎合するような政治をやるもんじゃない」


昨年来、首相が熱をめげた靖国神社への公式参拝、防衛費の国民総生産(GNP)比一%枠撤廃問題のいすれにも終始冷ややかだった。今夏、首相が公式参拝を見送ったのにも「日本だって、中国だって、戦争を覚えている人が多い。参拝は政治の問題でなく、心の問題として扱うべきだ」と賛成している。土建会社を経営しているが金権体質を嫌う。


「自民党が一番警戒しなきゃならんのは金権に陥ることだ。確かに政治にはカネがかかる。しかし『君子は財を愛す。これを取るに道あり』というじゃないか。不正なカネは手にしてはならん。民意は見るべきものはちゃんと見ている。カネでどうにでも国や政治なら、他国からも尊敬されない。民族の誇りもどこかに吹き飛んでしまう。

政党自体が人間のつくっている集団だから、ほうっておけば堕落もする。それをよくする最高の責任は総理・総裁にある」

「中曽根総理の一番大事な瞬間はこれからくる。必すやってくる引き際だ。それまでの時間を短くても、長くてもいい、党の決議でもして、いつでも辞められるようにしておけは十全。

辞め方と辞め時の『方』と『時』は、同じことを意味する。それは総理・総裁が見識と責任をもって自分独りで決断することだ。タイミングを失うと、自民党が大混乱に陥るし、首相の政治家としての成果もいっペんに水泡に帰しかねない。首相のこれからの一瞬、一瞬はこれまでにも増して、真剣勝負になる」

 四十四年の総選挙で佐藤首相は自民二百八十八議席(当選後入党を加え三百二議席)を得て、長期政権の基礎を固めたがめたが「引き際があまり上手ではなかった」。一方、中曽根首相は同日選の前は「私のよう俗物はなかなか煩悩が消せない」といっていた。

「同日選は、中曽根政権の最高の結末だ。実は今が辞め時だと思うが、次に引き継ぐことも考えないといけない。政権をだれに橋渡ししたら自分が納得できねか、それは首相に決断してもらわないと仕方がない」

「いま政局の先行きの見通しを一番はっきり持っているのは、宮沢蔵相だ。同日選後のことでは鈴木善幸氏に相談せすに決めたんだろう。竹下幹事長は現実に柔軟に対応して首相を支えた。両君とも政治指導者としての信頼感を築きかけている。安倍総務会長は少し違っていた。

やはり福田赳夫氏に甘えていたのだろう。三人にいいたいのは、オレなら中曽根総理のあとを十分やれるという自信を、うぬぼれでなく、はっきりハラに持てないと後は継けない、ということだ」

「首相にとって欠かせないのは、本当の意味で謙虚さに徹することだ。本当の謙虚さは私心を去らないと生まれない。謙虚さを口にして、政治の方便にするのではいけない。おごるなかれ、三百議席の自民党だ」


 四元氏はこの二十五日にも、軽井沢で中曽根首相と二時間も話し込んでいる。(おわり)


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