杉浦重剛先生(すぎうらじゅうこう)
「しげたけ」ともいう。近江(滋賀県)の出身。

安政2.3.3(1855.4.19)〜大正13(1924).2.13 明治、大正期の政治家、教育家、科学者、思想家。
明治3年、藩貢進生として上京、76年化学研究のためイギリスに留学したが80年病気のため帰国し、東京大学理学部博物場取締掛となる。85年、東京英語学校を創設、これは92年、日本中学校と改称された。この後國學院学監・皇典講究所幹事長・東亜同文書院院長。
大正3年東宮御学問所御用掛を命ぜられ、倫理を担当した(この間の教育が皇太子[昭和天皇]の帝王学に大きく影響を与えたと言われている)。
また、称好塾の私塾を開設し塾生には敬天舎創設の岩崎行親、岡積勇輔両先生も学ばれる。
称好塾には前後して、小村寿太郎、吉田茂なども学びのちに塾生が国事に奔走した。